5.遊び心 陶に遊ぶ


 ー 用の美 とはー 

 
用の美 とは使うために 作られたものがおのずと生ずる自然 暖かみのある 美しさのことです。
 近代の最も偉大なる陶芸家の一人
 そして究極の焼き物プロジューサーと言われたあの北大路魯山人
 は
自分で焼き物を デザインをして、当代最高の作家や職人にろくろ引かせ、そして筆をとり、絵を
 描いて、名だたる窯で焼いた。
 そして自分で料理を作り、また一流の料理人を呼び、自作の 器に盛りつけをして、食した。彼こそ
 究極のの求道者そしてマルチ人間の元祖なのです。
 

  小心者の私 魯山人の
大胆にして繊細、鋭さ、そして思い切りのよさ』の器に魅せられ、
 『
やきものと食』に根ざした魯山人の『用の美』になぜかひかれる。魯山人曰く
 『
焼き物をつくるんだって、みんなコピーさ・・・ただし どこを狙うかという狙いどころ、
  真似どころが肝要なのだ
 』の言葉に勇気づけられ、一生懸命 真似どころを探している。


          

 ー 焼締めの歴史 と面白さ 

  釉薬を掛けない 焼締め の代表 備前信楽の花入れは不思議な魅力がある。 自分は目立たず、主張せず、
 地味で控えめな野草や茶花などのたった  一輪の花の魅力を引き出してくれる。そして自分も静かにその存在を
 しっかり示している。そんな控えめな魅力があるのが焼締めなんです。

  五世紀の古墳時代には、1000℃以上の高温に出来る穴窯が大陸から技術が導入され、須恵器と称する無釉の
 焼き物が焼かれ初めた。
 平安時代にはまだ釉薬は一般的ではなく、愛知県渥美半島や猿投地方で薪の灰が掛かった
 自然釉の
寺院や貴族向けに焼かれていた。これがいわゆる焼締めの始まりである。12世紀末の平安末期
 から鎌倉時代
に入ると、当時の焼き物の産地 六古窯常滑、信楽、瀬戸、備前丹波、越前焼)では 釉薬をかけた
 瀬戸をのぞくほとんどの産地で多くの無釉の焼きものが造られていた。 
当時の日本ではまだ釉薬の技術は一般的
 ではなく、自然釉(松や他の木材の灰が素材と融合して出来上ったガラス質)が掛かった
壷や甕、食器 が作られて
 いた。 今でもその六古窯の流れを汲んだ 備前、信楽、伊賀、丹波、越前 などが代表的な焼締として延々と
 残っている。
焼締という語源は考古学的にはb器(せっき)と呼び 釉薬が掛かった陶器と区別して珪酸
 含む土 いわゆる備前土信楽土など1200度以上で焼くと、良く焼きしまり、水が漏れないというのが起源で、
 須恵器とも呼ばれている。
 高温の中で薪の燃え残った炭などの炭素粒子が土の中の酸素と結合して、硬い焼き物が出来ると言われている。
 今日 珍重されている備前焼や信楽焼の 赤みがかった独特の焼き色 当時 大規模な登り窯で 効率よく 大量に
 焼くため、重ね焼きをした。その際 くっつかないように藁を敷いたり、巻いたりして焼いたら そのとき たまたま
 出来た 模様が珍重されてきた。 その色合いを緋色と称し、模様を緋襷と呼んで珍重されてきた。

 
薪の灰が、直接作品に作用して、一つずつ固有の神秘的な模様を作り出します。 これがいわゆる灰かぶり、自然釉、
 窯変
と呼ばれ、その模様の種類によって胡麻(ごま)、玉だれ、火牡丹(ひぼたん又はぼた餅)桟切り(さんぎり)
 などと呼ばれます。

 
信楽焼きや備前焼きの特徴の一つであり、如何に 好い緋色や緋襷を出すかが、陶芸家の腕なのです。
 残念ながら 私の窯は 薪を焚かない電気窯であり、備前や信楽、伊賀のような自然な灰かぶりは出来ない。 
 しかし登り窯に負けない造形の緋襷、緋色 や焦げが出せるのです。
わたくしもその焼締めの魅力に、どっぷり
 嵌っています。